dottimo_kottimoのありふれた日常

定年を迎えるにあたって書いてます

還暦を迎えました

今日、3月21日は60回目の誕生日です。

いわゆる還暦と言うわけです。

誕生日を迎える前は、今まで生きてきた60年間を振り返ったり、これから何年生きるかわかりませんが、未来予想図を思い浮かべたりするものです。

今日、息子と嫁から誕生日プレゼントを貰いました。たまにはオシャレしろよってことで、ニューヨーカーのジャケットとシャツでした。

若いころと違って、着るものには無頓着になってることは確かですが。

夕飯は和風レストランで食事してきました。

で、今日は宇宙元旦ってことらしいです、意味はよくわからないが知ってる人は知ってる宇宙元旦、しかも満月が夜空に浮かんでいます。

記憶に残る誕生日でした。

 

そして、このブログ「dottimo_kottimoのありふれた日常」は今日で終わりになります。

当初から還暦までやってみようと始めたブログです。

いままで、ありがとうございました。

 

もっと、もっと、もっと・・・・

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レックスが亡くなって20日が経ちました。

想い出すたび涙がでてくる・・・・

あの時、もっと遊んでやればよかった、もっとジャーキーあげればよかった、もっと車に乗せてあげればよかった・・・後悔ばっかり

 

そんなことばっかり考えてしまいます。

レックスからの手紙

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お父さん、お母さん、裕太、翔太、今までありがとう。

14年前にお母さんと翔太が僕を見つけてくれました。

二人に出会て本当に良かった。

10月なのに雷が鳴っていた夜、僕はここに来ました。

最初はお父さんも裕太もいい顔しなかった、反対してたんだよね。

でも、僕が具合が悪くなり病院にいったんだ。

帰ってきた僕に、よかった、よかった、寂しかったって言ってくれたんだ。

 

僕がここに来た時は、裕太が中学3年生、翔太が小学5年生、まだまだ子供だったんだ。

時の流れは速いもので、あの時一番子供だった僕がいつしか一番おじいちゃんになっていた、みんなの何倍ものスピードで年老いていく運命・・・・

 

耳も聞こえなくなり、目もよく見えない、白髪も多くなり、走ることさえ辛かった、こんな老犬になっても、今までと変わらなく接してくれて嬉しかった。

 

僕が5歳くらいの時から、お母さんは仕事に行くようになり、昼間はいつも一人ぼっちだった。

窓から外を眺め、誰かが帰ってくると嬉しくて嬉しくて走って階段に向かい、お迎えするのが日課だった。

お母さん、いっぱい遊んでくれてありがとう、いろんな所に連れていってくれてありがとう。

お父さん、大好物のジャーキーありがとう、ドライブに連れていってくれてありがとう。

 

お父さん、お母さん、裕太が入院した時、僕もお見舞いに行きたかったんだよ。

翔太の結婚式に僕も出席してお祝いしたかったんだよ。

 

僕が病気になって死期が近づいたと感じたとき、どうしてもお別れが言いたかった、痛くて、苦しかったけど、がんばって立ち上がってもう帰れるよって・・・・

短い時間だったけど、一緒にいられて最後にお別れができてよかった。

 

痛くて痛くて、意識もうろうで、お父さん、お母さんが面会に来ててもわからなかったんだ。そして僕の最後を傍で看取ってくれてありがとう。

 

関根レックスでいられて本当に幸せでした。

 

最後にお父さん、お母さんもうすぐ結婚30年だね、一緒にお祝いできなくてごめんなさい。

 

高い空からみんなのことを見守っています、たまには空を見て想い出してください。

 

                              レックス

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安らかに眠れ、そしてありがとう

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レックス、君は本当に良い子だった。

私から君に贈る言葉は感謝しかない。

幸せな日々をありがとう。

 

今頃、虹の橋に着いた頃だろうか?

 

そして本当のお別れは22日だね、最後の最後まで愛情を送りづづけるからね。

レックス、君は幸せだったかい?

f:id:dottimo_kottimo:20160611190838j:plain昨日、レックスが亡くなりました。14歳でした。

進行性脊髄軟骨症でした。一度入院して点滴打って夕方には四つ足で立っていて、面会にきた私たちに喜んでいたレックス。

先生も信じられないと言うほどの回復、最悪の病気じゃないと判断されたようで、次の日退院してまる1日元気でいてくれました、しかし様態が急変し病院へ・・・

仕事を終わっていってみると、様態はますますわるくなるばかり、私たちさえもわからない状態だった、そのまま入院して昨日面会にいくと、もう横になった状態で目もうつろ、やっと呼吸をしてる状態、一旦、家に帰って午後の診察の4時の診察をまって再び面会。

それから約1時間後息をひきとりました。

夫婦そろって大泣き状態・・・・

あの元気はなんだったんだろう?

きっとレックスは最後のお別れに一緒にいたいから一生懸命頑張ったんだろうと・・・きっとそうだ。

私たちは何も知らずにまた以前のように一緒に暮らせると信じて最後の一日を送っていた。

 

先生曰く、進行性脊髄軟化症になったら、もうてのほどこしようがない。約1週間で逝く恐ろしい病気ということ。

 

犬を飼うといことは、遅かれ早かれ迎えるこの現実、それ以上にたくさんの思い出を残してくれたことに感謝します。

 

思えば2005年の10月嫁と次男が大雨の中、子犬を買ってきた。それがレックスだった。

犬の最後を看取るのが嫌な私は大反対をしたのを覚えている、でも我が家の家族になった以上、一生懸命育てよう、愛情をもって接しよう、そんな気持ちで暮らしてきた14年間だった。

 

ありがとう、レックス。

君は私たちと一緒に暮らせて、幸せだったかい?

 

たくさんの思い出があるからこそ、涙が止まりません。

もうしばらく、泣かせてください。

 

レックスの病気

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愛犬レックスがこれほど大切な存在なのかよ~くわかった!

11日の夜、外へおしっこをさせようとしたら様子がおかしい?

元気がない、立てない、祝日の夜、行きつけの病院はやっていなし。

知り合いに聞きまくり、大宮に夜間専門の動物病院があることを知り、そこに向かった。一般道路を80km以上のスピードで(嫁運転)・・・・

到着するとすぐ診察してもらった、端的にいうと椎間板ヘルニアなのだが、もしかすると脊髄の液の漏れも可能性としてはあるような・・・・

一応血液検査をしてもらって、レントゲンを撮ってその日は帰った。

その後も元気はなく前足が麻痺した状態で次の日を迎えた。

行きつけの病院でも状態は変わらぬまま、医者から言われたことは前日に行った病院で言われたこととほとんど同じだった。

 

私は仕事してても集中なんてできない状態で、時折最悪のことを考えてしまうのであった。そのたび目が潤んでくる・・・・

病院からは6時に来てくださいとのことだったが、仕事なんてやってられん!3時で早退した。

家に帰ると、嫁が6時までは行けないと・・・・まだ2時間以上もある。頭の中はレックスのことばかりだ。

 

病院に着くと案内され、レックスと対面・・・ゲージの中のレックスが4本足で立っている。

 

最悪の病気ではないらいしと・・・・私は嬉しさのあまり涙が止まらなかった、たぶん最悪の事態であっても涙は止まらなかっただろう。

医者の前で、嫁の前で泣いてる姿は見せられない、すぐさまその部屋から出て行った。

翌日、今日6時に病院に着く、医者的にはもう少し入院させたかったようだが、寂しがりやのレックス、一緒に帰ってくることができた。

 

でも高齢の14歳、人間でいえば70過ぎ、その日はいつか必ずやってくることは確かなこと。私はレックス以上に寂しがりやなのかもしれない。