dottimo_kottimoのありふれた日常

定年を迎えるにあたって書いてます

「いまさら・・・回想録」

今日8月15日は日本人は忘れることができない終戦記念日です。

でも昭和20年8月15日は私が生まれる15年ほど前のことでリアルタイムでその日を迎えたわけではない、親世代の人たちに比べればそれほど、この日がど〜だのこ〜だのと思ったことはないことは事実。

さて本題だが・・・・・

いまさら昔のことを書くなんて意味はないかもしれないが、声にだして他人に喋ったことはいし、この場所を使って残しておいてもいいのかな〜〜っとふっと思った次第で・・・

私は大学に入学する1年前から親元を離れ都内に高校時代の同級生と共同生活をしていた。

さすがに都会は生まれ育った街と違い人がいっぱいだ、それに夜遅くなっても人が街にあふれている。

ある日、共同生活していた友達が駅前である宗教団体から声をかけられたことから・・・・・私の人生を左右(大げさ)することになりかねないことが始まったのです。

その話を聞いた私と友達は指定された場所に・・・・たぶん好奇心が先頭にあったのは間違いなかった。

そこは普通の民家だった、入り口に十条ホームと書いてあった。中に入ってみると若い男女が数十人いた。

初めて来た私たちに不審者扱いするでもなく、暖かく迎えてくれたという印象だった。

どんな話だったか忘れたが、なんとなく人の生き方のような、皆が一生懸命考えながら語っていたようなそんな記憶が残っている。

そして一冊の聖書をもらった、布でできた手作りのカバーがかかっていた。そのカバーは私が作ったのよっと、美人ではないが私のタイプの女の人が言った。彼女は私と同じ歳だというのがその後分かった。

帰り道に友達二人とラーメンを食べながら、十条ホームってなに?これからどーする?とかの話に・・・・

数日後、またまた好奇心でその場所に行ってみた。その中でいろいろ話してみるとなんとなくこの団体がわかってきたのである。ここにいる人たちは献身(字がこれいいのか?)してここで共同生活をしているってこと、それも男女共同で・・・世の中こんな世界もあるのか〜〜っと。先日初めて行った時に私と同じく初めての人も来ていた。そこのリーダー的な人は沖縄出身だった。

そこで私より2〜3歳年上の人と仲良くなった(男です)奇遇にも誕生日が同じ日だった。

それから月に1〜2回のペースで通うようになっていた、と同時に共同生活は解消されひとり暮らしを始めていた。

今度の日曜日に礼拝があるんですが来ませんか?っと
礼拝の場所は十条ホームではない所だった、徒歩で行ける所だし・・・

礼拝場も民家だった、そこに来ている人たちは皆正装した姿だった。

そこで初めて分かったことがあった、共同結婚式?そんなことをしている団体、統一教会なのである。

実はこの統一教会というとこがどんな団体なのか知らなかった。その何年か後にはワイドショーで大騒ぎになったあの統一教会に私は通っていたのだった。

皆の話ではよく「神」という言葉がよくでてくる。(実際私はそこまで信者ではなかった)

礼拝が終わるとカレーライスがでてくる、特にうまいわけではなかったけど、まずくはなかった。

十条ホームで仲良くなった斉藤さんという人がよく私の住まいに来るようになった。来ても神の話をするわけでもなく、いわば世間話をして帰るような・・・

ある日礼拝が終わって、時間ありますか?と斉藤さんに言われた。

それは統一原理の勉強のようなものだった。きちんとホワイトボードを使って教えてくれるのはありがたいのだが、睡魔が睡魔が・・・・「睡魔が神の教えを妨害しようとするのです」と・・・・心の中でほんまかいな〜〜って

初めて十条ホームに行ってから半年くらい経ったかな、ホームの男女二人がやってきた(もちろん夜中)あれ?男の人は私が初めてホームに行った時に同じく初めて来た人だった(名前は忘れたが)北海道出身のその人はすでに自分の仕事を辞めホームで共同生活しており、つまり献身してるのだった。

二人が来たのは、最近教会に来なくなった私対することだった。なぜが私を責めているような?私が教会に献身してくれるんだと思っていたとか、そんなことを言い始めた。

ちょっとまて・・・・・・・・

親を捨て家族を捨てなんで献身しなくちゃならんのだ〜〜って、いわば喧嘩?決裂?

その後二度と教会の人は来なくなった、もちろん私も教会には行かなくなった。

その数年後かな桜田淳子が共同結婚式でって話題になりましたな。体操の山崎浩子も・・・

実際統一教会のことはさほどわからないまま縁がきれた感じだった、もう少し深く知ってもよかったのかなと、中途半端でおわっちまったのだった。